2012年2月28日火曜日

「愛が指導方針・指導者の基本」



〓指導方針について〓です。



 やはり…「愛」です〓私に出来ることは小さく、少ないかもしれませんが、足りない事を補う人やモノが集まれば大きな力になると、感じております。人の価値観や捉え方は様々で良いと思います。対話を持つ事で学習することや答えを知ることが出来ると思うので…かかわり合う事は大切だと思います。個人的な思想かもしれませんが、先生方が尊敬しし合って、信頼していらっしゃる姿を私は理想であり、尊敬しております。人はそれぞれの感性で感じてほしい!! と、そこに拳法会の理念や先生の…私でしたらその先の直属の先生の教えを伝えて行く!!と捉えています自分自身がそうですが…初めの取りかかりには臆病になってしまいます、色々な事を体験し、経験して成長しようと心がけているつもりです。〓思う〓行動する〓続けるを継続は力なりとして、可能性をつぶさない!!



 何より…拳法会を好きになれるように…技術であったり、思想であったり、環境であったり、人であったり…とにかく関わる事を好き〓でいられるように、心がけて伝えています。愛することが信頼を生み出す事と信じて指導に携わっております。



  ・・・・・・・・・



1.指導者の基本は、「愛」 如何に拳法会や生徒を愛するか。



2.愛することが信頼を産み多くの生徒が育つ。



「指導者・教育者の心得」 第二回指導者講習会をうけて!



Sent: Sunday, February 26, 2012 10:28 PM
Subject: 押忍!



 昨日は、ありがとうございました。 講習会前の稽古(寝技)の最初の方のVTRが取れず残念でた。"指導の心得"は…人を教えることによって自分もその人から教わり、双方を高めあってゆくもの…だと考えます。

  あと心掛けているのは、"子供を認める"と"褒める"です。「お前はダメだ〓」と否定をせずに受け止めることです。子供の目線になり、叱ったり怒ったりする前に、その子の意見を聞くことをしています。そして結果を出すより、「頑張った道程」を褒めること、を実行してます。なかなか難しいですが。


 軸がぶれている自分自身に頭を抱えている今、何を言っても嘘臭くて自問自答してます。


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 1.多くの生徒から自分が教わり成長する。

 2.結果より努力の過程を褒める。「これは、ダメ!あれは、ダメ!」の否定では、心に益々、迷いがおきる。

 3.VTRなど記録をとることの重要性。(見る、聞くだけでは、正しく理解できない。)



2012年2月26日日曜日

教育とは!指導者とは!「拳法会指導者は、教育に対するブレナイ軸を養え」

寺小屋教育教育の果たすべき役割
              拳法会師範 近田孝夫
教育の荒廃が叫ばれるようになって久しくなりました。大方の人は、教育は学校に於いてのみ行われると思っているようですが誤りです。教育には家庭教育、学校教育、社会教育と、大雑把に見ても三本の柱があります。
何時頃からでしょうか、家庭教育の崩壊があり、次いで学校教育が破綻していきました。社会教育は遠の昔に機能しなくなっています。そんな中で学校にだけ教育の責任を押し付ける親が増えました。教師の懲戒権を奪い取り、最低限の家庭教育すら施してない子どもを学校に押し付けたらどうなるでしょうか、答えは自明です。「体罰」は本来家庭教育の範疇にあります。しかし、叩かれた痛さや加減を知らない親が子どもに「体罰」を与えるとどうなるか、これまた自明です。健全に成長させるための方策が真反対に作用すれば、しなかった方が好かったという結果になります。その見極めのできない親が多すぎるように思うのですが如何でしょう。
我々が育った頃は、子ども社会とでも言うべき環境がありました。学年が縦軸を構成し、同級生を横軸とする、組織とは意識されない構成でしたが充分機能的だったように思います。縦軸は「上位下達」式でしたが、決して筋の通らない押し付けばかりではありませんでした。横軸がそのブレを緩和させる役割を果たしていたからです。横軸のブレは縦軸の抑制が修正しました。イジメも無かったわけではありませんが、限度がありました。仲間外れにされても、元に戻れるように方法を諭してくれる存在がありました。上級生になるとそれぞれの役割が自然に決まったように思います。小学校の通学も地域ごとに集まって、上級生が下の子の面倒をみたものです。その形態は今も残っていますが、上級生の指導性はほとんどなく、いわば便宜的な集団に過ぎません。
学校が「知育」偏重の場となり、家庭が社会の常識を教えなくなったとしたら、どこで健全な社会性を身に着けるのか。重要な課題です。保護者も学校に要求するのは基本的に「知育」一辺倒です。ちょっと前にあれほど声高に叫ばれた「ゆとり教育」も、文部科学省の思惑通りには機能しませんでした。それも当たり前で、世の大多数の思いと現実とのギャップを無視した出発でしたし、日本人の志向を考慮した施策ではなかったからです。父母が求めるのは子どもの成績の上昇(「知識を増やす」とか「教養を高める」ではなく、もっと現実的に点数が取れること)だけだからです。ゆとり教育の場として設定された「総合的な学習」という科目も、正しく機能していた学校が現実的に判断してどれほどあったでしょう。小中学校はまだしも、高等学校、特に普通科では当初から邪魔者扱いだったはずです。親(保護者)の要求を満たすにはとんでもない足枷となりました。土曜日が休日になって授業時間の確保が難しくなった上に、必修科目として居座るそういった科目を採用するには主要教科の時間を減らすしかありません。補いは休暇中の補習になりました。学校での就学時間が減った分、子どもたちに塾通いの増やされた例が報告されています。それなのに全国平均で子どもの基礎学力は確実に落ちています。抜本的に考える必要がありそうです。
「遊びをせんとや 生まれけむ  戯れせんとや 生まれけむ  遊ぶ子どもの 声
聞けば わが身さへこそ 揺るがるれ」      『梁塵秘抄』
後白河法皇の編集されたとされる『今様』の歌詞である。子どもは遊びを通じて健全な発育を遂げるということを否定する人はいないでしょう。しかし、現実には遊んでいる子どもの姿を見ることは稀になりました。逆に言えば遊んでいる姿を見ると違和感を覚えるほど外で遊ばなくなっています。高校生くらいになっても刃物を満足に扱えなかったり、昆虫に触れられなかったりする子が増えました。世の常識を知らないは当たり前で、知っている方が珍しいという状況も起きています。何ともおかしな話です。かつては「漫画しか読まない」と嘆かれましたが、最近は「漫画も読まない」といわれます。反面、大の大人が四苦八苦しているコンピュータなどはいとも簡単に操作してのけます。遊びもコンピュータ画面で大活躍するキャラクターに自分を同化させることで済まされます。超人的な活躍を自分の分身が行っていると思い込めば、実際には動かされていない自分の身体が動いていると錯覚するのです。子どもの多くがそんな頭でっかちになっています。反面、子どもの体力の低下は厳然と数値に顕れています。
「切磋琢磨しなければ健全な成長を遂げられない。対人の活動を経なければ公序良俗を理解することはできない。競い合うことで成長すると考えれば、競わなくなったことで確実に成長は止まる」
親が丸抱えしている状況では競うことはなくなります。欲しがるままに与えられるから、がつがつしたところはなくなるでしょうが、自活意識も育ちません。親の傘の下で庇護されているので自立心も育っていかなくなります。学校でも競う意識を持って取り組まれるのは学業成績の結果だけです。親もそれが満たされれば満足するのです。本来やらなくてはならないことも、やりたくない(やっても結果が出そうもない)ことは「できません」と言ってそっぽを向きます。手を着けようともしません。失敗することのデメリットのほうが現在では大きいからです。
何時の世も、子どもは親の期待に応えようと努力します。問題なのは親の過期待です。親の期待に応えられない時、二種類の行動が始まります。単なる親への反発は時が解決しますが、問題なのは反社会行動です。自制心の育っていない(育つ環境に置かれていないと言った方がよいのかもしれない)子どもは当然非常に個人主義的になっています。それが衝動的に行動を起こす時は常識では考えられない結果をもたらします。識者と言われる人の、結果からの解説は往々にして納得できません。こじつけや常識からの判断ばかりで答えになっていない場合が多いからです。マニュアル通りに説明できないから「衝動」なのですが、教育論者の教科書の中に「無知の衝動」についての解説はないようです。
日本ではかつて、「お天道様」が行動の制御に多大な影響を持っていました。
『お天道様に誓って、・・・』
『お天道様はお見通しだ』
『お天道様に恥ずかしくないの』
などという言葉を使ったり、聞いたりしたことがないでしょうか。「お天道様」とは何でしょう。「正義」と置き換えることもできますが、それだけでは十分でなさそうです。
私はこれこそ日本の「心」の原点であると信じています。日本人の「心」のあり方の多くは儒学思想に言う「五倫」(「五常」とも言う。仁・義・礼・智・信という五つの徳目)に基づいて成り立っています。肩肘を張らなくても受け入れられる程度に加減されたそれは、思いやりの精神として日本人の心の根幹をなしていました。
幕末に日本を訪れた外国人が驚嘆した日本、その理由は幾つかありますが、第一に清潔なことでした。裏通りに入っても塵芥一つ落ちていない景色は驚異的なものであったといいます。ヨーロッパの国を旅して感じたのは、表通りの美しさと裏通りの汚さのアンバランスでした。それこそ裏通りは犬の糞だらけで,足を置くのも躊躇されるほどでした。最近の日本ではあまり見られなくなりましたが、私の子どもの頃には公道であっても道に面した家の人によって毎朝掃き清められていましたし、ゴミのポイ捨てなど考えられない行為でした。第二は人々が礼儀正しいことです。行き交う人が無意識に目礼をする。あるいは声に出して挨拶をする。道を譲り合う。それが自然に行われていたから驚嘆に値したといいます。第三が教育水準の高さでした。庶民でもかなりの人に読み書きや計算のできたことが知られていますが、正規の学校教育(ヨーロッパ人の考える初等・中等教育)がスタートする以前だったのに、それを超える教育水準を持つ国があったということですから、西欧人には驚異的なことだったでしょう。彼らの常識を遥かに超えた文化水準にあった国、それが日本だったのです。
日本の教育を下で支えたのが「寺子屋」でした。名前が示すように中心となったのは地域に必ず有った寺であり、そこの住職でした。勿論寺ではなく大地主や神官がその役割を果たした例も多々あります。一宮では、寺ではありませんでした。向学心に燃えた青少年は仕事を終えた夜間を学習の時間としました。場所と教員の確保、向学心、どれが欠けても成立しない中で上手く機能してきたのは日本人の資質にもあったと思われます。
現在、学校教育で初等・中等教育は「義務」となっています。教育の普及という面では頂点に達しているといえるかもしれません。しかし、知識と同時に普及されるべき礼節や道義は学ばれていません。国旗の掲揚、国歌の斉唱の為されない学校があって、そのことを手前勝手な理屈で糊塗していたのがその証拠の一つです。世界の何処に、独立国家でありながら国旗を掲揚しない国や国歌を式典で斉唱しない国があるでしょう。外国人は国旗や国歌をとても大事に考えていますから、そんな日本を変だと感じるらしく、「どうして国旗や国歌を大事にしないのだ」と外国の友人に問われたことがあります。
礼節や道義を教える場所としての学校は破綻してしまいました。残念ながら学校やそれを統括する国の機関に抜本的にこの問題を解決させえる人材はいないのではないでしょうか。しかし、今なら市井にはまだ善導できる人がいます。

『「武徳」なくして真の教育は有り得ない』
これは我々の主張です。日本の武士道に憧れ、真摯(しんし)に学んでいる欧州の人の数は驚くほど多くなっています。日本人は己の学ぶ道だけを正義として、他を排除しようとしますが、欧州のもののふ達(日本の武道を学ぶ人)は「全てが我が師」として真剣に受け止め、自分の足しにしようとします。このまま推移していけば、日本人が「もののふの道」を欧州の武士に学ばなければならなくなってしまう日が来るかもしれません。そうなってからでは遅いのです。
「武道」は剣道を習っていれば、柔道を習っていれば身に着くというものではありません。競技化した状態の中で試合に勝つことを至上とする練習では「武士道」精神は成り立ちません。厳しい練習の中で、刹那(せつな)の判断を下す訓練を積んで、何事にも動じない心を養い、正義を貫くことが「武士道」であると規定すれば、小手先の技を磨くことで勝ち負けを競うのは「道」ではありません。練習の場で武道を学んでも心の修行になっていないのは、履物の散乱している玄関先を観、道場に入っても外と何ら変わらない立ち居振る舞いをする練習生に注意もできない指導者のいることでわかります。
「一穂(いっすい)の火をもって燎原(りょうげん)の炎となす」明治期の武士(もののふ)の様に世界に賞賛される人士を育てたい。そのために、単なる便宜でしかない年齢を超えた「学びの場」が必要不可欠となります。真摯な修行は年を追うごとに確実な結果を将来します。着実に積み上げたものは決して崩れません。部分で能力の差は出るかもしれませんが、総合力では年数の重みを越えるものはありません。平成の「寺子屋」を立ち上げるのは、次代を担う青少年に「貫く」ことの大切さを体得してもらわんがためです。
「寺子屋教育」で目指すのは自信を身に着けた子どもを育てることに尽きます。

この文章を浅い先生にも送付して下さい。浅井先生のアドレスが上手く呼び出せませんでした。押忍!

2012年度第2回指導者講習会 第2回のテーマ:「柔法と制定居合」「指導者とは」



今年、第2回の指導者講習会が行われました。大きな、テーマでは、「義務教育での留年制」「武道必修化」「指導者とは」についてでした。実技は、「指導実習」「柔法」「拳法会制定居合」が行われました。

拳法会制定居合指導法




 メモやVTRを撮り次回は、グループ協議を行います。









基本指導法の実戦指導



    柔法の稽古



受身の稽古



















2012年2月24日金曜日

朝倉邦夫杯が3月10日にあります。笠井武道教室では、寝技、崩しの稽古に集中しています。

朝倉邦夫杯が3月10日にあります。浜松の笠井武道教室では、寝技、崩しの稽古に重点をおいて稽古しています。 笠井積志武道教室053-439-0909
 PS: 朝倉邦夫杯 投げ技・寝技を得意技とし武道教育・青少年の健全育成・拳法会に貢献した故朝倉邦夫師範を記念して設立されたのが朝倉邦夫杯。伝統と文化、精神の伝承があってこそ今日がある。

2012年2月22日水曜日

浜松の葵高丘道場 昨日の訓え!「先んずれば、人を制し!遅るれば、人の制する処也」



昨日の稽古の訓えは、「整理整頓」整理整頓が出来れば、何事もよくまとめられポイントを外すことなく余裕を持って事にあたれる。勉強もよく整理が出来るし仕事も無駄がない・・・・。と葵高丘拳法会・倉田清人支部長が話をしました。
 また、大橋千秋本部長より、「先んずれば、人を制し!遅るれば、人の制する処也」 と教えがありました。何事も整理整頓をし準備も怠らず人より先にやる体勢作りをすれば、百戦危からずと話がありました。子どもたちは、一生懸命メモを取り明日(水)三方原武道教室の稽古に備えていました。

                                   電話053-439-0909(NPO法人内)



                        

2012年2月20日月曜日

「夢」2012年子どもたちの目標




部活動によるスポーツ障害 文科省でも不十分だがやっと取り組み!武道必修化も考えて!



10年ぐらい前から私たちが主張してきた学校の部活動によるスポーツ障害 文科省でもやっと取り組みがはじまったが、現場の声が活かされていないと共に部活動やクラブでも現場は、脆弱な指導者がほとんどなので抜本的改革が武道必修化と共に望まれる。特に、学校教育や地域クラブでは、競技・大会など主な目的ではなく教育と自覚させるところからはじめねば成らない。野球、サッカー、テニス、バスケットなど多くの指導者に問題がある。更に、柔道も競技化が進んでいるので大いに留意しなくては、ならない。 
 更に、忘れてはいけないのは、先天的に頭や心臓など死につながる障害・問題をもつ子どもたちを医師や健康診断で見つけるシステムを組み込む必要が不可欠である。
 また、部活やクラブの地位が明確でない。教師も指導者もボランティアの低い意識レベルの指導者では、危険極まりない。

2012年2月16日木曜日

平成24年子どもたちの目標! 子どもの将来は、親と先生で決まる!

          浜松拳法会への問い合わせ 053-439-0909

青少年健全育成事業「三ケ日青少年の家体験学習」申し込み





青少年健全育成事業「三ケ日青少年の家体験学習」申し込みのお知らせ。





4月14日(土)、15日(日)に静岡県の三ヶ日青年の家で「拳法会体験学習を行います。」
  例年の行事内容(ボート、かに釣り、貝取り磯遊び、環境保全活動・・・・) 父兄の方も宿泊可
      
誠に急なことでは、ありますが参加者の人数を把握のため至急申し込みをお願いします。
氏  名:               所属:        道場
性  別:男・女
学年別:幼児・小学生・中学生・高校生・青年・一般・指導者


      「経験こそ我師!子どもの将来に大きく貢献します!全員参加で!」
              拳法会本部 053-439-0909 Fax053-439-7901





浜松市の三方原武道教室は、葵高丘道場に負けないためトランポリンを購入!


浜松市の三方原武道教室は、葵高丘道場に負けないためトランポリンと厚い体操用マットを購入!次回は、マットを紹介します。  生徒募集中!
            電話053-439-0909

海外武道研修生Bhupendoraくんの居合道も上達! 浜松三方原武道教室!

空手・拳法など武道に興味を持ったら拳法会 053-439-0909(NPO法人内)



    試し斬りの残骸、細い竹をめった斬り! 細い竹でも中に食い込んだり!竹のサイド滑って床など思わぬところを斬ります。注意!

2012年2月11日土曜日

浜松拳法会、道場で毎回お酒が配られている?それも世界の!

世界各国から大橋師範のところに贈られて来るのですが大橋師範は、全くお酒を飲まないのでセッセと毎回運んできます。今日は、お酒大好きの野澤先生が風邪のため休んだので山本先生以下でもらいました。 ヤッタァ~!

    会員募集中 053-439-0909

世界チャンピオンの指導をうける山本選手!浜松可美武道教室、空手武道興味・・拳法会

大橋世界チャンピオン(2010,2007)の指導を山本選手は、念入りに受けていました。柔道・空手の経験もありオールマイティーの山本周一選手は、毎週土曜日は、大橋選手に鍛えられています。今日は、下段蹴りのポイントでした! 浜松可美武道教室、空手武道興味をもったら拳法会 電話053-439-0909 気軽の見学に来てください。
   となりでは、日本刀による抜刀の稽古!大人用は、重たすぎる。

2012年2月10日金曜日

浜松笠井武道教室!運動能力と人としての礼節を学ぶ!



先生が言いました。基礎体力や運動能力を伸ばせ!そして良く学べ!

 「喧嘩が弱い奴がいじめられている子を助けられるか!弱い奴の言う事を聞くか!自分の荷物を持てない者が困っている人の荷物を持てるか!悪口を言う事を恥とせよ!」

 そんなことで今日も40分間、体力作り。(側転、バク側転、馬とび、三点倒立、逆立ち、ハイハイ、うさぎ跳び・・・・) 1年間も続けていると信じられない能力が身につきます。

  肝の座っていない頭でっかちで格好だけの血気の勇気を「匹夫の勇」と言います。 



2012年2月6日月曜日

障害者武道協会の小林常務理事より!

いつも、大変お世話になっています。
2012年も早一ヶ月が過ぎ去り、すでに2月の声を聞くこととなりました。
皆様方におかれましては、この極寒の中ではございますが、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、私事で恐縮ですが、故郷のために何か出来ないかとエンターテイメントの分野から静岡をPRする活動を試みてきました。
今回は過去三度目の公演となる舞台『清水の次郎長』を博品館で開催することとなりました。
地元清水の「次郎長翁を知る会」では毎回観劇バスツアーを組んでいただき、観光協会の協力の下、公演を応援していただいています。
公演概要は下記のホームページをご覧頂ければ幸いです。
http://www.jirocho.heureka.jp/
今回も静岡から観劇バスツアーが企画されましたので皆様にご案内させていただきます。
添付ファイルをご覧ください。
是非とも多くの方々に応援していただきたくお願い申し上げます。

先日、出演者を連れて清水にいってまいりました。
静岡新聞とSBSが取材に来て頂き報道されましたのであわせて記事をご紹介いたします。
http://www.at-s.com/news/detail/100094644.html
ご多忙とは思いますが、ぜひ3月20日祭日火曜日の観劇ツアーにご参加いただけますようお願い申し上げます。
これから益々寒くなりますがお身体ご自愛ください。
小林正季
090-9151-8072
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観劇バスツアー募集
平成24年2月1日
次郎長翁を知る会
会長 竹内 宏

 厳寒の候とはいえ、ようやく春の足音も近づき、会員各位におかれましては御健勝にお過ごしのこととお慶び申しあげます。
 さて、本年は本会創立20周年の年でありますが、折よく、東京銀座八丁目「博品館劇場」にて平成時代劇「清水の次郎長」が催されます。プロデューサーは清水東高出身の小林正季、脚本・演出は登米祐一。出演は中原裕也(次郎長)、崎本大海(森の石松)など有力な方々です。
 ご多忙の折とは存じますが、万障お繰り合わせの上、ご参加くださるよう、お願い申し上げます。

日程      平成24年3月20日(火・祝)
出発時間    3月20日(火・祝) 午前7:30(静岡駅南口、スルガ銀行前)
午前8:00(清水駅東口(みなと口))
   午前8:30(富士インター)
帰静時間               午後7:45分(静岡駅南口)予定
参加料     13,000円 観劇料
昼食料(三笠会館:リストランテ・ブオーノ ブオーノ)含む
申込方法    ご住所・お名前・電話番号をご記入の上、ハガキ又はFAXにて下記までお申込ください。なお、電話での申し込みも受け付けます。
        〒424-0806
静岡市清水区辻1丁目1番3-103号アトラス清水駅前         
        (財)静岡観光コンベンション協会 清水事務所
        次郎長翁を知る会 担当:木原
        TEL 054(388)9181 
FAX 054(388)9182         

申込締切    平成24年2月17日(金)
        (お申込みの方には、後日改めて参加料お振込用紙・スケジュールの詳細等をお送りします)
THE 平成時代劇 「清水の次郎長」 銀座博品館
観劇バスツアー行程表
平成24年2月1日

◎3月20日(火・祝)
 
静岡駅南口スルガ銀行前===清水駅東口ロータリー===清水IC===
7:30出発        8:00出発       

富士IC===海老名SA(休憩)===東京IC===首都高速===
8:30出発             10:45

中央区銀座4-1-2
霞が関IC===「ブオーノ ブオーノ」(昼食)・・・銀座博品館劇場(観劇)==
         11:30~12:30     13:00~16:00

首都高速===東京IC===海老名SA(休憩)===富士IC===清水IC==                
       17:00            18:35着

清水駅東口ロータリー===静岡駅南口
19:05着       19:45着

*銀座博品館劇場     TEL 03(3571)1003
             観劇時間 13:00より

*ブオーノ ブオーノ   TEL 03(3566)4031

2012年2月5日日曜日

武道必修化 死亡事故は、起きる!今の受身から入る指導は、間違い!




敗戦により昭和20年、GHQ(占領軍)により武道禁止令がだされスポーツ化することにより武道復活が許されてきた。平成18年12月、戦後60年がたちGHQにより作られたと言っても過言でないわが国の教育基本法がやっと改定され平成24年から中学における武道必修化が完全実施される。実施に当たり現在、毎年、部活動でおきている死亡事故 につき防止対策が研究、指導されている。昭和40年代、50年の初め「相手を殺傷する事を目的」としていた拳法会は、日常茶飯事的に大事故を起こしていた。そして、昭和50年後半に事故を防ぐための研究改良がすすめられた。
 しかし、現在の教育委員会や武道関係者の指導手法では、必ず「死亡事故が起きる」と言わざるおえない。その理由を簡略的に柔道で示せば、
 
 生徒または、学校が種目選択⇒受身指導⇒投げ技実技指導・・・・にある

 ここに、落とし穴がある。
 ☆先ず、武道とは、「殺傷を目的とした危険」なものと認識し、「生徒の興味や学校の都合で選ぶものではない!」 選択に当たっては、脳挫傷など起こしやすい体質か否か、医学的チェックと武道指導者が経験から見抜かなくてはならない。そこで、「あなたは、この種目に行きなさい。こうしてはいけませんよ!」と指導すべきである。
 ☆次に、「受身」から入るところに間違いがある。前まわりや後ろ受身で頭を打つ子供が現在は、残念ながら多数いる。首が弱いからだけではない。サッカーや野球が遊びの主流となり「回る」経験不足しているからである。受身の前に必要な運動、例えば、拳法会では、「側転」「三点倒立からブリッジ」運動が必要である。その後に受身に入るのが望ましい。次に、実技であるが乱捕りは、座って組めば、落差が少なく危険性を下げ楽しむことも可能である。
   〇改 善
武道経験者と医師が種目選択⇒受身の前に側転など経験運動⇒受身⇒より安全な実技(たち膝からの乱捕り)

 いずれにせよ。まだまだ、不十分で研究改良が必要である。
  大橋千秋 世界拳法会連盟会長 (社)障害者武道協会副代表理事
                 










参考資料1 参考資料2

東北拳法会岩手支部 平成24年安全祈願

空手や武道に興味をもったら浜松可美拳法会


浜松可美総合センターで節分の豆まき!1年の厄落としをしました。
  今日も基本・寝技・打撃の稽古でよい汗を流しました。053-439-0909

 大人も子どもも一緒になって幸せを拾う。












2012年2月4日土曜日

マイナーイメージの武道ですが武道人口は、世界3億5千万人、日本1300万人と言われています?

               南アジアの拳法会

この数字は、ネットで拾ったものですが剣道国内800万に対し柔道20万は、少なすぎる気がします。国士館大の中島教授は、おそらく講道館に登録されている有段者の数字ではないかと言っていました。その数が加われば、さらに競技人口は、増えるでしょう。しかし何故、マイナーイメージなのでしょう。それは、日本人と世界の人々の武道は、見世物でなく己を極めるものだという考えが受け継がれているからです。

             戸山流居合道を稽古する拳法会

           世界拳法会連盟 Phone053-439-0909