葵高丘武道教室拳法会(北部協働センター)
森口先生は、2011年3月11日は、東日本大震災があった日です。死者1万5千人、行方不明者7千5百人と云う大災害でした。
多くの人は、こんな大津波が来るとは信じられず逃げ遅れた人が沢山いました。私たち武道を学ぶものは、常に死を意識して行動しなくてはなりません。まさかと言う事は、ありません。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」です。
大橋先生は、私の両親は、満州にいました。満州で兄の正治は、土となりました。ソ連軍から逃げて舞鶴に引き上げてきたのは、終戦二年後でした。その後、名古屋の船見町の貯木場の近くに住んでいました。13号台風や室戸台風が来て堤防まであと1mに迫つていました。両親は、さっさと安全な中村区に逃げてしまいました。その後、伊勢湾台風が来て周りの人たちは、皆なくなってしまいました。
今日も護身術の稽古をしましたが身を護り危険より逃げる稽古をしているのです。逃げ上手でなくてはなりません。拳法会では、「衣食住武」といいますがまさに生き残るためには、これが必要です。
0 件のコメント:
コメントを投稿