高杉晋作は、吉田松陰門下で明倫館や松下村塾で学び柳生新陰流免許皆伝。
1839年(天保10年)に長州藩士・高杉小忠太の長男として生まれました
1863年に身分制度にとらわれない草莽崛起の奇兵隊を組織し下関砲撃事件や第二次長州征伐、戊辰戦争などにおいて活躍した。
高杉晋作は、清国(中国)・上海へ訪れた際、大国と思っていた清がイギリスとの「アヘン戦争」に敗れ欧米列強に侵略され上海市中で中国人を奴隷の様に扱い傍若無人な振る舞いをする欧米人をみて危機感を覚え憤慨「我が国も危ない」と痛感し帰国!攘夷(外敵を撃ちはらう)の決意を固める。
わが国、日本もアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヵ国と「和親」、「修好通商」の不平等条約を結ばされている以上、対応を誤れば中国と同様の事態になると決意をかため不平等条約を結ばされた幕府を解体すべく統幕運動へ進すんだ。
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