2012年1月25日水曜日

「日本には、いにしえより今に至るまで、哲学がない」中江兆民

葵高丘道場で稽古しました。倉田清人師範代は、「皆さんに今日も大きな志、目標を紙に書き毎日見ていれば、心に利に迷わない筋金・哲学が出来る。」と言いました。前日、中島教授からきたメールを思い出しました。

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平成24年明けました、おめでとうございます。

 とは、言うものの今の日本を鑑みると、明治憲法の基本は、ドイツが作りました。しからば、現在の昭和憲法?は、GHQ(占領軍)が作りました。それでは、日本人の日本の憲法は、いったい、どこにあるのでしょうか?


 明治の開花期に、「東洋のルソー」と言われ、自由民権の思想家で政治家の中江兆民(1847~1901) という人がいました。中江兆民は、「わが日本、いにしえより 今に至るまで哲学なし。」よく兆民は、言ったものだと、小生思う。大兄は、いかが・・・。     国士舘大学教授 中島豸木

  中江兆民の遺言

 『日本には、いにしえより今に至るまで、哲学がない本居宣長や平田篤胤といった人々は古典を調べ、いにしえのことばを研究する一種の考古学者であって、天地性命の理に至ってはまったくないくらいである。伊藤仁斎や萩生徂徠は新しいことも説いているが、要するに儒学者にすぎない。ただ、仏教の僧のなかに独創性があり一派の創始者となる功績を残したものもいるが、しかし宗教家の世界のなかでのことであって、純然とした哲学ではない。最近では、(初代東京帝大学長の)加藤弘之や(東京大学哲学科にケーベルを招へいした)井上哲次郎が、みずからを哲学家と標榜し、世間もまたそれを認めているが、その実、自分が学習した西洋の誰それの論説をそのままに輸入しただけの「論語読みの論語知らず」で、哲学者と称することはできない。
哲学の効用はかならずしも誰にでも明らかというわけではない。貿易収支がどうか金融が順調かどうかとか、工業商業が振う振わないなど、哲学と何も関係ないようにみえるが、そもそも国に哲学がないのは、あたかも床の間に掛け物がないようなもので、その国の品位が落ちるのは免れない。カントやデカルトは実にドイツやフランスの誇りであり、かの国の床の間の掛け物であり、かの国・人民の品位と深い関係がある。哲学なき人民はなにごとをなすにも深遠な意図をもつことができず、浅はかになることを免れない。
日本人を海外諸国の人とくらべてみると、ことの理解がはやく時節の必要にしたがって推移することができ、頑固であったということがない。日本の歴史に西洋諸国のように悲惨で愚ろかしい宗教上の争いがないのも、明治維新がほとんど血を流さずに成し遂げられ三百の大名が先をあらそって土地と政権を返上して遅れるところがなかったのも、旧来の風習を洋風に改めてしまい惜しんだり気にかけることがなかったのも、ここに理由がある。
だが、日本人が騒々しくて軽薄であることの大病根もまたここにある。志を立て実践する力が弱いという大病根もまたまさにここにある。独創の哲学なく、政治において主義がなく、党派の論争を粘り強く持続することができないのも、その原因はここにある。一種の小賢しさ、ずるさであって、真に偉大な事業を成し遂げるのには不適当である。きわめて常識に富む民であるが、常識以上のことをなし遂げることは、到底望むことはできない。だからこそ、すみやかに教育の根本を改革して、死んだ学者よりも活きた人民を生み出すようにすべきことは、まさにこの故である。』
  

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