ロウ先生(英国)大橋千秋師範(日本)モンゴルシン先生(インド)近田孝夫師範(日本)
全世界の拳法会の皆さんの活動をお知らせします。News of Kenpo kai. This Blog informs it of the activity of the person concerned of Kenpo Kai of the whole world. 会員募集! 電話053-439-0909(NPO法人内)
2012年4月29日日曜日
2012年4月28日土曜日
2012年4月26日木曜日
日本武道学会第45回大会のご案内 45th Japanese Academy of Budo
日本武道学会第45回大会のご案内 45th Japanese Academy of Budo
東京農工大にて9月6日~7日に開催されます。The congress is held in Tokyo University of Agriculture and Technology on September 6 and 7th.
東京農工大にて9月6日~7日に開催されます。The congress is held in Tokyo University of Agriculture and Technology on September 6 and 7th.
2012年4月23日月曜日
2012年4月22日日曜日
浜松可美武道教室で子どもたちが有名人からサインもらって!
女の子たちが言いました。「先生!ニュージーランドのラグビーの・・・・やスペインのサッカーの〇〇・・・・。サインもらって!お願い!」
先生は言いました。「みなさんは、しっかり稽古して勉強しなさい。そして、その人たちのお役にたつ人になりなさい。そしたら、みんな来ますよ!また、かれらの様に芸を売る人は、芸を売っているのですからお金をあなたがたは、払い!買う立場にあります。」
2012年4月21日土曜日
2012年4月20日金曜日
インフルエンザに注意!浜松神久呂武道教室
2012年4月18日水曜日
浜松葵高丘武道教室「自然体とは、習慣である!」
2012年4月15日日曜日
「2012三ケ日体験学習」 青少年健全育成を目的として体験学習が行われました。
動画Click!
三ケ日青少年の家で「2012拳法会三ケ日体験学習」が青少年健全育成を目的として体験学習が行われました。今年は、多くの他の地域での事業が重なり参加者が少ないと思われましたがなんと蓋をあけたら例年の1.5倍の人数でした。そのため、体力測定など進行の遅れが目立ちました。是正策を検討する必要を感じました。今回は、中高生を含めた若手の指導陣が協力してくれましたがその力を更に活用したいと考えます。 ココをClick!
会員募集中 053-439-0909
三ケ日青少年の家で「2012拳法会三ケ日体験学習」が青少年健全育成を目的として体験学習が行われました。今年は、多くの他の地域での事業が重なり参加者が少ないと思われましたがなんと蓋をあけたら例年の1.5倍の人数でした。そのため、体力測定など進行の遅れが目立ちました。是正策を検討する必要を感じました。今回は、中高生を含めた若手の指導陣が協力してくれましたがその力を更に活用したいと考えます。 ココをClick!
会員募集中 053-439-0909
2012年4月13日金曜日
空手・拳法など武道に興味を待ったら名古屋市南区の伝馬コミニュティセンター武道教室!見学してください。
2012年4月12日木曜日
2012年4月11日水曜日
大橋千秋氏に聞く! 記者:ルーンゲール In Kathmandu
◎ルーンゲール:大橋千秋氏は、世界拳法会連盟の会長であるとともに人文学者で武道哲学者でもある。大橋氏に、武道を通して人間の哲学的訓えについてたずねた。
大橋:日本の武道(武士道)は、仏教の教えと深いつながりがある。また、釈迦は、あなた方の国であるネパールのルンピニーで生誕している。その武士道精神を基に拳法会は、世界と繋がっている。
◎ルーンゲール:武士道精神とは、如何なるものか、たずねた。
大橋:「世界チャンピオンとなるのは、容易であるが人生の世界チャンピオンになるのは、難しい」と述べた。この言葉の意味するところは、拳法武術を教えるのではなく一生を通した武士道と言う人間哲学を教え人の一生を完成することにあると確信する。
◎ルーンゲール:ネパール拳法会・ネパールの青少年健全育成を確立するには、どうしたらよいか?手法をたずねる。
大橋:ネパールの青少年には、学校教育に特に体育教育が必要と考える。小学校に体育教育があれば、心身の健全育成と共に「お互いに協力」することを体得し譲り合いの精神を養うことが出来る。先ずマナーを守る意識を養う為にも「体育教育」は、必要です。
◎ルーンゲール:ネパールで武道は、大変人気がありますが問題点についてお話下さい。
大橋:人気があることは、大変に嬉しいことですが複数の空手、柔道、剣道など乱立しています。皆それぞれ主張が強く、まとまって行動することがありません。生徒も指導者も一貫性がない状態です。このあり方を是正し共に学び統一見解とし体育教育などを提唱すれば、ネパールの若者をより健全に育成し更に社会に貢献するようになると確信します。
◎ルーンゲール:ネパールにおける日本武道について。
大橋:日本の武道は、特権階級であった武士(Samurai)が礼徳(礼儀・道徳)を修得し惻隠(おもいやり)と感謝の精神と公共性(昔は、国・主君)を根本としています。拳法会は、武道=武士道と理解しています。その武士道精神を南アジアへ伝承するネパール拳法会は、重要な立場にあります。おおくの武道関係者に伝承しなくてはなりません。その自覚を促すことを、日本側からネパール側にもお願いしたいと考えます。
◎ルーンゲール:ネパールにおける「武道と政治家の関係」をどのように見ていますか?
大橋:ネパールでは、何かあれば、直ぐに政治家とか大臣とか「権力主義」が好きな人が多いようですが武士道とは、哲学であり、ここでは、政治とは、別物と考えるべきでしょう。その教えは、個人のためでなく国家であり全国民の為でるように公共の精神をもつSamurai(サムライ)の育成にあります。(武士道の「主君の為になる事」とは、「公共のためになる事」です。)
ネパールの政治家も日本の政治家も多くは、「武士道と礼徳」を守って道を貫いているとは、思えません。(ここでは、本来、政治家、役人は、サムライでなくてならないが隔たりがあるので別としておきましょう。)
◎ルーンゲール:ネパールで武道を学ぶ若者に一言
大橋:ネパールの若者全体が「志が低い」と考えます。大きな志があれば、小さな目先の利で道を変えたり、迷うことはないからです。日本もネパールもアジアの小国です。志を大きく持っていれば、大国から餌をぶら下げられても動かぬものです。若者のみなさん、自分の大志を明確にしていれば、自分が勝手に見る幻に惑うことは、ありません。
◎ルーンゲール:ありがとうございました。先生のお話は、ネパールの若者に大きな影響を与えたと確信します。
2012年4月10日火曜日
各国の拳法会に望むこと!写真は、インドネシア拳法会
2012年4月9日月曜日
「武道教育に思う」 師範:近田孝夫
「武道教育に思う」
平成二十四年度から中学校で「武道」が必修となります。それを受けて事故の多い柔道を避け、剣道を選択する学校が多いように報道されています。何か議論の視点がずれているように感じるのは私だけでしょうか。
そもそも武道とは、武術の習得の延長線上にあるはずです。武技、武術を身に着けて人と争う時、勝負であれば敗者は程度の差はあれ障害者になるか死ぬことになります。試合でも師範や熟達者の指導下で約束された立ち合いでなければ危険性は変わりません。本質的に死を背負っての訓練でした。剣道で竹刀が工夫され、防具が考案されたのも弟子が安全に練習に励めるようにということからでした。
元和偃(げんなえん)武(ぶ)(大坂夏の陣が終わって戦国時代が終息した)と呼ばれる時が来ると、武芸は武士の嗜みとなり、必殺の武技を身に着け、人と生死を賭けて戦う必要がなくなりました。勿論個人的な戦い(「果たし合い)など)がなくなったわけではありませんが、生死についてより深く考究されるようになりました。「(1)剣禅一如」という言葉はそんな中から生まれました。「(2)刹那」を感得することで「(3)もののあわれ」を知り、より道徳的な感性を磨くようになりました。そうして生まれたのが「道」です。およそ「刹那」を感得することで進歩の求められるもの全てに「道」は付きます。武道は固より茶道、華道、香道と、全て同源です。
武道教育と言いますが、何を求めてのことでしょう。必殺の武技を身に着けさせようと言うのでしょうか。中途半端な技術の養成でしょうか。どちらも違います。「心」の修行を大前提にしての出発であったはずです。しかし、今現実に議論されているのは、
「指導者がいないので○○は採用できない」
とか、
「○○は危険なので○○を採用することにする」
といった便宜的な運用面を前提とした意見ばかりです。
「指導者が技術者である必要はない」
本来の目的からすれば、講義を受け持つのが武道経験者でなくてはならないという縛りは必要ありません。座して静思するのも武道修行の大事な要素です。その指導ができない教員はいないはずです。
小手先の技術を演錬することで武道を学んだことにはなりません。究極の目標としての武道精神を得ることにはほとんど結び着きません。剣道をしていれば、柔道をしていれば武道に励んでいるということにはならないということを承知しておくべきです。
1 剣禅一如;剣の道と禅の奥義は真理において同一だという考え。
2 刹那;瞬間を意味する。非常に短い時間。
3 しみじみとしたおもむき。
『・・・・・・
試し合い(試合)は、己の技量を試す場で武道の求める目標ではない!
平法の剣(塚原卜伝 鹿島新当流)や活人剣(上泉伊勢守信綱 新陰流)は、拳法会と同じく「和の武道」、「幸せの武道」を目指していたと考える。
競技、スポーツでは、所詮、競い合う事で不安が生まれ、健全なる心の幸せには、つながらない。
勝者は、常に一人!
その勝者も限りなく闘わねばならぬ!
常に幻にさいなまれる己のみが残る。
その状況下では、真の「和の武道」は、見つけられない。武道教育とは、幸せの道標(みちしるべ)を示すことにある。
試合(ためし合い)の愚かな者になってはいけない。そこには「和の武はなく」幸せはない。
学校で部活動や武道必修化で指導する先生はご留意いただきたい。部活、柔道、剣道、拳法は、健全精神を養うと思う迷信から脱却しなくてはならない。』
『拳法会は、幼児武道教育も大切にしている。マットの上で自由に運動させる事により潜在的な能力を引き出し精神の健全性にもつなげたいと考えている。この時期から年長者とも共に稽古し技術の優れた年長者に敬意を払い、同時に年長者にも惻隠の情を育てあげる事が可能である。現在の学校教育で混在しているのは、教師自身が
「スポーツ=スポーツ基本法」「体育=教育基本法」「武道=武道必修化」
の目的役割を明確に理解していないところにある。しかし、拳法会では、指導員は明確に認識している。とは言え全世界の拳法会の指導員が全員認識しているかといえばいささか疑問であるが、ほとんどが現場で体得していると理解している。学校教育のなかで多くの教師が、
「体育教育は、大会で良い成績を修める試合至上主義がよい体育教育だ」
と勘違いしている。保護者も同じで、市内大会あたりで優勝すれば大喜びである。
「体育とは、健全なる体をつくり運動能力を向上させることにより健全な精神・心を育てる事である。記録を伸ばし、試合で勝ち、メダルを取ることは『スポーツ』である」
拳法会の前半の稽古は、突き蹴り、投げなどの武技に重点をおかないマット運動などの「体育教育」に重点をおいている。体育教育を補わなくてはならない現実からである。
そして後半の稽古は、「武道=武士道」の精神・心を育てる稽古・修行に入る。武道教育とは、稽古を通して「日本の歴史、伝統、文化、護身の技を体得させ、修行の中から武士道という精神性を高める教育」である。この時間帯は、大人も子供もない。師も弟子もない! 全てが未熟と心得ている求道者なので先生も生徒と共に汗を流し、道を説き、求める。
例えば、九月十八日の訓えの言葉は、
「一度の善行は、千回の善話に勝る」
と、
「本年六月二十四日に施行された"スポーツ基本法"第十七条と十八条の矛盾を考える」であった。
世界拳法会連盟会長 大橋千秋』
これは私の所属している「全日本拳法会」の会長の講話を転記したものです。いみじくも「武道」の本義を語っています。
勝つことを至上とする意識からは心の豊かさは得られません。勝つことをひたすら追求することと健全な精神を養うことは、現状では決して両立させられません。
柔道がスポーツ化していることは、多くの人が認める事実ですが、武道としての在り方は日本の伝統的な精神でもって再構築できると信じます。
剣道も試合以外ではかなりスポーツ化していると言わざるをえませんが、試合でのガッツポーズの禁止など「道」の部分は辛うじて残っています。
相撲も発生当時の武術的傾向はほとんど残っていませんが、精神性を垣間見ることはできます。試合後のガッツポーズなど、改善すべき点は多々ありますが、今後の指導如何でしょう。
本年から導入される「武道」の授業では小手先の技の指導ではなく、心の在り方に重点を置いた本質的な武道教育を目指して欲しいと思います。
平成二十四年度から中学校で「武道」が必修となります。それを受けて事故の多い柔道を避け、剣道を選択する学校が多いように報道されています。何か議論の視点がずれているように感じるのは私だけでしょうか。
そもそも武道とは、武術の習得の延長線上にあるはずです。武技、武術を身に着けて人と争う時、勝負であれば敗者は程度の差はあれ障害者になるか死ぬことになります。試合でも師範や熟達者の指導下で約束された立ち合いでなければ危険性は変わりません。本質的に死を背負っての訓練でした。剣道で竹刀が工夫され、防具が考案されたのも弟子が安全に練習に励めるようにということからでした。
元和偃(げんなえん)武(ぶ)(大坂夏の陣が終わって戦国時代が終息した)と呼ばれる時が来ると、武芸は武士の嗜みとなり、必殺の武技を身に着け、人と生死を賭けて戦う必要がなくなりました。勿論個人的な戦い(「果たし合い)など)がなくなったわけではありませんが、生死についてより深く考究されるようになりました。「(1)剣禅一如」という言葉はそんな中から生まれました。「(2)刹那」を感得することで「(3)もののあわれ」を知り、より道徳的な感性を磨くようになりました。そうして生まれたのが「道」です。およそ「刹那」を感得することで進歩の求められるもの全てに「道」は付きます。武道は固より茶道、華道、香道と、全て同源です。
武道教育と言いますが、何を求めてのことでしょう。必殺の武技を身に着けさせようと言うのでしょうか。中途半端な技術の養成でしょうか。どちらも違います。「心」の修行を大前提にしての出発であったはずです。しかし、今現実に議論されているのは、
「指導者がいないので○○は採用できない」
とか、
「○○は危険なので○○を採用することにする」
といった便宜的な運用面を前提とした意見ばかりです。
「指導者が技術者である必要はない」
本来の目的からすれば、講義を受け持つのが武道経験者でなくてはならないという縛りは必要ありません。座して静思するのも武道修行の大事な要素です。その指導ができない教員はいないはずです。
小手先の技術を演錬することで武道を学んだことにはなりません。究極の目標としての武道精神を得ることにはほとんど結び着きません。剣道をしていれば、柔道をしていれば武道に励んでいるということにはならないということを承知しておくべきです。
1 剣禅一如;剣の道と禅の奥義は真理において同一だという考え。
2 刹那;瞬間を意味する。非常に短い時間。
3 しみじみとしたおもむき。
『・・・・・・
試し合い(試合)は、己の技量を試す場で武道の求める目標ではない!
平法の剣(塚原卜伝 鹿島新当流)や活人剣(上泉伊勢守信綱 新陰流)は、拳法会と同じく「和の武道」、「幸せの武道」を目指していたと考える。
競技、スポーツでは、所詮、競い合う事で不安が生まれ、健全なる心の幸せには、つながらない。
勝者は、常に一人!
その勝者も限りなく闘わねばならぬ!
常に幻にさいなまれる己のみが残る。
その状況下では、真の「和の武道」は、見つけられない。武道教育とは、幸せの道標(みちしるべ)を示すことにある。
試合(ためし合い)の愚かな者になってはいけない。そこには「和の武はなく」幸せはない。
学校で部活動や武道必修化で指導する先生はご留意いただきたい。部活、柔道、剣道、拳法は、健全精神を養うと思う迷信から脱却しなくてはならない。』
『拳法会は、幼児武道教育も大切にしている。マットの上で自由に運動させる事により潜在的な能力を引き出し精神の健全性にもつなげたいと考えている。この時期から年長者とも共に稽古し技術の優れた年長者に敬意を払い、同時に年長者にも惻隠の情を育てあげる事が可能である。現在の学校教育で混在しているのは、教師自身が
「スポーツ=スポーツ基本法」「体育=教育基本法」「武道=武道必修化」
の目的役割を明確に理解していないところにある。しかし、拳法会では、指導員は明確に認識している。とは言え全世界の拳法会の指導員が全員認識しているかといえばいささか疑問であるが、ほとんどが現場で体得していると理解している。学校教育のなかで多くの教師が、
「体育教育は、大会で良い成績を修める試合至上主義がよい体育教育だ」
と勘違いしている。保護者も同じで、市内大会あたりで優勝すれば大喜びである。
「体育とは、健全なる体をつくり運動能力を向上させることにより健全な精神・心を育てる事である。記録を伸ばし、試合で勝ち、メダルを取ることは『スポーツ』である」
拳法会の前半の稽古は、突き蹴り、投げなどの武技に重点をおかないマット運動などの「体育教育」に重点をおいている。体育教育を補わなくてはならない現実からである。
そして後半の稽古は、「武道=武士道」の精神・心を育てる稽古・修行に入る。武道教育とは、稽古を通して「日本の歴史、伝統、文化、護身の技を体得させ、修行の中から武士道という精神性を高める教育」である。この時間帯は、大人も子供もない。師も弟子もない! 全てが未熟と心得ている求道者なので先生も生徒と共に汗を流し、道を説き、求める。
例えば、九月十八日の訓えの言葉は、
「一度の善行は、千回の善話に勝る」
と、
「本年六月二十四日に施行された"スポーツ基本法"第十七条と十八条の矛盾を考える」であった。
世界拳法会連盟会長 大橋千秋』
これは私の所属している「全日本拳法会」の会長の講話を転記したものです。いみじくも「武道」の本義を語っています。
勝つことを至上とする意識からは心の豊かさは得られません。勝つことをひたすら追求することと健全な精神を養うことは、現状では決して両立させられません。
柔道がスポーツ化していることは、多くの人が認める事実ですが、武道としての在り方は日本の伝統的な精神でもって再構築できると信じます。
剣道も試合以外ではかなりスポーツ化していると言わざるをえませんが、試合でのガッツポーズの禁止など「道」の部分は辛うじて残っています。
相撲も発生当時の武術的傾向はほとんど残っていませんが、精神性を垣間見ることはできます。試合後のガッツポーズなど、改善すべき点は多々ありますが、今後の指導如何でしょう。
本年から導入される「武道」の授業では小手先の技の指導ではなく、心の在り方に重点を置いた本質的な武道教育を目指して欲しいと思います。
2012年4月8日日曜日
ナショナル・インターナショナルスピーチトレーニングセンターで講演「教育は、命の継承」 講師:大橋千秋
1.「会場の聴講者から「尊敬」について教えてほしいと要望」
あなたは、空手・剣道など「競技」をすることだけのものを「武道」と思いますか。「より早く、遠くへ投げる」「ポイントを挙げる」このようなものは、スポーツです。日本は、2011年には、スポーツ基本法が制定しました。メダルを取ったり良い記録を出すことを支援する法律です。武道は、スポーツでは、ありません。
武道は、武士(samurai)の哲学です。 武士道(Bushido)は、武士・サムライ(Samurai)の究極の「道徳」「礼」「尊敬」から成立している。Budoは、「Ki」です。単にヒットしても、ポイントにならない。勝敗は、自分自身が最もよく分っている。審判の判定に意義を言うのは、武士・サムライ(Samurai)の恥です。動揺することも恥である。勝敗よりもその時の態度が大切です。試合後の正座(Seiza)の礼も感謝と尊敬の表れです。
There was a demand when I wanted you to teach it about "respect(Sonkei)" from the listener of the meeting place.
Do you think that you do "a competition" including karate, Kendo to be Budo? Such a thing "giving a point" "it is earlier, and to throw far" is sports. Basic Law for sports established Japan in 2011. There are not the Budo(martial arts) by the sports.
The Budo(martial arts) are philosophy of Samurai. Bushido is established from ultimate "morality" "etiquette" "respect" of Samurai. Budo "is Ki". It is not merely pointed even if make a hit. Oneself understands victory or defeat best. It is Haji(shame) of Samurai to say significance to judgment call. It is Haji(shame) to be upset. A manner than victory or defeat at that time is important. The etiquette of Seiza after the game is an outcome of thanks and the respect, too.
次は、2.「平均寿命について話しましょう。」 ここで、質問です。
インドやネパールなど南アジアのみなさんにお聞きします。日本の平均寿命は、83歳です。南アジアの平均寿命は、何歳ですか。
会場から、60歳代です。
皆さんは、何故に20歳の差があると思いますか。
会場から、辛いもの食べるから。
それもあるでしょう。私は、ルールだと思います。日本では、学校に「体育」があります。子供たちは、水泳を学びます。タイでは、子供たちが1100人も1年で溺死します。日本のSamuraiは、身を守るため刀が抜きやすい左側を歩きました。皆さんの国の道路は、右や左や真ん中を我先に歩いています。車も同じです。多くの子供たちが怪我をして死亡しています。明確な教育のルールが必要です。優秀な技術者は、安全な医療機器や車を作り出して医者になることで病気を治します。武士道・教育は、命の継承です。
2.The next will talk about the average life span.
Here, it is a question.
I ask all of you of the Southern Asia including India and Nepal. The Japanese average life span is 83 years old. How old is the average life span of the Southern Asia?
From a meeting place, I think it to be in its 60s.
Do all of you think that there is a 20-year-old difference in why?
Because, from a meeting place, we eat a hot thing.
There will be it, too. I think that it is a rule. In Japan, there is "physical education" in the school. Children learn swimming. In Thailand, 1,100 children are drowned in one year. Japanese Samurai walked the left side that a sword was easy to go to protect the body. The roads of the country of all of you walk the right and the left and the middle rushingly. The car is the same, too. Many children are hurt and die. A rule of clear education is necessary. I cure a disease by the excellent engineer creates safe medical equipment and cars, and becoming the doctor. Bushido, education is the succession of the life
3.「地球環境について、どのように考えますか。」
私は、カトマンズの町で大変に驚いた。夜7時で停電となり朝まで続きます。しかし、町は、蓄電池と太陽光で機能を失わず電気がついています。これは、凄い。
さて、日本は、CO2の削減目標を25%に定めてソーラー発電や節電を進めています。しかし、誰が25%削減を決めたかがポイントです。2050年に日本人口は、50%削減されます。人口が半分になれば、CO2の削減が25%は、とても簡単と言うことです。
問題は、あなた方の国が大国の影響をうけずに正しい決定が出来ることがポイントです。わが国の日本と南アジアの小国は、政治家と役人が混迷している。みなさん自国を愛して行動を起こしましょう。
3.Ohashi sensei is in the global environment and how does think?
I was surprised very much in a town of Katmandu. It becomes the blackout at 7:00 p.m. and follows until morning. However, the town does not lose a function by a battery and light of the sun and is lighted. This is great.
By the way, Japan establishes a reduction target of the CO2 in 25% and pushes forward solar generation and economy in power consumption. However, who decided 25% reduction is a point. As for the population of Japan, it is reduced 50% in 2050. If population becomes half, it is to say that 25% of reduction of the CO2 is very simple.
It is a point that the problem can do right decision without your country being affected by the large country. In Japan of our country and the small country of the Southern Asia, a politician and a government official are stupefied. I love all of you own countries, and let's take action.
女性ストレッチ拳法 浜松市可美総合センター 毎週土曜日19時から
2012年4月7日土曜日
2012年4月6日金曜日
2012国際拳法選手権大会 in Kathmandu 併に南アジア国際武道研究会
3月27日、28日にわたりカトマンズで2012国際拳法選手権大会 in Kathmandu 併に南アジア国際武道研究会が開催されました。
テーマ
1.Bushido哲学の修得。
2.Budoの戦いは、己の中にある。判定に不服を表すのは、恥。
3.基本的な礼と徳、道場の出入りの礼の徹底。戦場であるコート内で握手をしない。
4.見る人達も礼儀正しく。道場内で帽子を被らない。(伝統帽子は、OKです。)
Southern Asia international martial arts meeting for the study was held to put 2012 international Kenpo championship in Kathmandu together in Katmandu for 28 days on March 27.
Theme1:
1.Acquirement of the Bushido philosophy.
2. There is the fight of Budo in oneself. It is shame to express dissatisfaction for the judgment.
3. Basic etiquette and virtue, thorough etiquette of the comings and goings of the dojo studio.
Do not shake hands in the court which is a battlefield.
4. Looking people are polite. Do not put on a hat in a dojo studio. (the traditional hat is OK.)
テーマ
1.Bushido哲学の修得。
2.Budoの戦いは、己の中にある。判定に不服を表すのは、恥。
3.基本的な礼と徳、道場の出入りの礼の徹底。戦場であるコート内で握手をしない。
4.見る人達も礼儀正しく。道場内で帽子を被らない。(伝統帽子は、OKです。)
Southern Asia international martial arts meeting for the study was held to put 2012 international Kenpo championship in Kathmandu together in Katmandu for 28 days on March 27.
Theme1:
1.Acquirement of the Bushido philosophy.
2. There is the fight of Budo in oneself. It is shame to express dissatisfaction for the judgment.
3. Basic etiquette and virtue, thorough etiquette of the comings and goings of the dojo studio.
Do not shake hands in the court which is a battlefield.
4. Looking people are polite. Do not put on a hat in a dojo studio. (the traditional hat is OK.)
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