2012年9月15日土曜日

「武道」とは、なにか?What is Budo? Yuzan Daidoji(1639-1730)

「武道初心集」兵法家の大道寺友山(だいどうじゆうざん)(1639―1730)の著で原著56ヶ条からなり「武士の基本的な心得」を説いている。 「武道初心集」で言う「武道」というのは、現今で言う、謂わば「武術道」の意味合いではなく、「武士道」の意味であるという事である。  さて、その「武道初心集」だが ここをClick!  第1ヶ条から始まる。 (1ヶ条)武士たる者は、正月元日の餅を祝うからと箸を取り初そめてから其の年の大晦日の夕に到る迄、日々夜々死を常に心に留めるという事を以って、本意の第一とするべきである。 死をさえ心に留めておけば、忠孝の二つの道にも適い、萬の悪事・災難をも遁れ、其の身は無病息災にして寿命長久に。剰え、其の人柄迄もよろしくなり、其の徳は多いのである。・・・・・。 (36ヶ条)に 奉公を仕る武士は、主君の御意を以って諸役を仰せ付けられる際に、経理に関わる部署だけには、どの様な手段を講じても異動させられない様に逃げて逃げて逃げまくるべきだ・・・との心得が必要である。 何故かといえば、其の家中の大小の奉公人を始めとして、城下の町人、郷村の百姓以下に至る迄の連中に、少しの難儀をかける事無く、しかも藩主の利益を増大させる様に財務を取り計らうというのであれば、至って良い事であって、「眞の御爲者」とも「御重寶なる役人」とも呼ばれて然るべきであるが、但し、凡庸の智慧・才覺では、そういう風に双方に利益が出る様にとは却々出来ず、一筋に「主君の御爲にさへなれば」と思っていると民間人に難儀・迷惑をかける事になるし、反対に下々の悅ぶ様に・・・と心掛ければ、藩の財政にマイナスに作用してしまうなど、必ずどちらか一方に支障が出てしまうものなのである。 この点から、こういう役職に関わり合わない方が良いと云うのである。 更に、どれ程才覚に恵まれた武士であったとしても、「貪欲」という病気には罹り易いものであるから、主君の御勝手向きをやりくりし、諸人にも重用され、資産のやりくりも自由になると思えば、軈て驕りの心も生じ、デカイ顔もしたくなるだろう。 そうなれば自然と分不相応の暮らしをする様になって、トチ狂って特定個人を贔屓してみたり、自分ちの家計が苦しくなれば横領にも手を染める様になり、悪い評判が立って、結局身を持ち崩す結果となるものと相場が決まっている。 是を名付けて「盗臣」とか云うのである。(是を名付て盗臣とか申にて候)
 公共(主君)の 金を扱うものは、「凡庸な武士」には、出来ない。「確固たる信念を持った武士」でなくては、できない。

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