「鍛練」夫婦喧嘩をするのは、 愛の絆を強くするためです!子育てで苦労することがあるのは、 子育てを通して親の愛を学ぶためです。(曽根喜美男先生の訓え)
私達は、何のためにこの世に生まれてきたのでしょうか。
私達は、人という存在として、
「心をきれいに磨く」ために生まれてきたのです。
この世は、心をきれいにするための「大きな磨き石」のようなものです。
私達の人生は、「大変なこと」や「辛いこと」ばかりです。
何もしなければ、食べていけません。
食べなければ、死んでしまいます。
この世で生きていくためには、
汗を流して働かなければいけません。
1人で生きるのは寂しいから、友達を作るのです。
愛する人がいないと愛が感じられないから、
愛する人と結婚するのです。
私達は生きるために、「動きまわる」のです。
しかし、動けば動くほど、
「大変なこと」や「辛いこと」が出てきます。
友達と仲良くなるだけではなく、
時には喧嘩もしてしまいます。
結婚すれば、一緒に生活するために、
二人で協力しなければなりません。
子供が生まれれば、今度は子育てです。
家族ぐるみで協力しなければなりません。
目の前のハードルを乗り越えれば、
次のハードルが待ち構えています。
そのハードルを越えれば、
さらにまた次のハードルがあります。
いつまで経っても、次から次へとハードルが出てくるのです。
「この世こそが地獄なのではないか」、と思えるほどです。
しかし、考え方を変えてみましょう。
・「大変なこと」や「辛いこと」があるのは、
それを通して「自分を磨く」ためなのです。
人とのやりとりに躓くことがあるのは、
「状況を察すること」や「相手の気持ちを理解すること」を
学ぶためです。
・夫婦喧嘩をするのは、
愛の絆を強くするためです。
・子育てで苦労することがあるのは、
子育てを通して親の愛を学ぶためです。
・人生に「さまざまなトラブル」が生じるのは、
そのトラブルを通して「自分を鍛える」ためです。
鍛練とは、強靭な鋼を作り上げるために
「鉄を叩いて鍛える行為」を言います。
刀鍛冶は、ひたすら刀を叩くことで鉄の強度を上げます。
これは鉄を伸ばして形を整えているのではなく、
繰り返し叩くことで、
粘土のような粘りを持たせて強度を増すとともに、
不純物を叩き出し、鉄を強く鍛えていくのです。
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