昨日の武家の茶道で戦国武将も刀を持たなかったか?の質問!
戦国武将は、戦場だけでなく茶室においても、護身用として短刀(懐刀)前差を身につけていました。
詳細は以下の通りです。
- 大小の帯刀は禁止:千利休の定めた「茶の湯」の精神では、茶室に入れば身分や敵味方の区別なく平等であるという考えから、通常武士が腰に差している大小の刀は茶室に入る前に外すことが作法とされていました。
- 短刀は携帯:しかし、常に命の危険と隣り合わせだった戦国時代の武将たちは、万が一の事態に備えて、大小の刀とは別に、懐や帯の中に隠し持てる短い護身用の刀(短刀や懐刀と呼ばれる)を携帯していました。
- 形式的な意味合い:千利休の「待庵」のような極小の茶室(四畳半以下)では、にじり口から入るため物理的に大きな刀は持ち込めないという側面もありましたが、短刀の携帯は事実上の慣習でした。平和な江戸時代に入ると、この短刀も形式的な木刀(差料)に代わることもあったようです。
このように、戦国武将にとって茶室は精神的な安らぎを求める場であると同時に、いつ何が起こるか分からない緊張感のある社交の場でもあったため、短刀・前差を手放すことはありませんでした。信長が愛用した短刀としては**「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」**が知られており、本能寺の変の際にも信長が所持しており、焼失したと伝えられています。
現代の茶道では武器の持ち込みは通常ありませんが、戦国時代の武将たちにとっては、茶の湯が精神修養の場であると同時に、常に危険と隣り合わせの生活の一部であったことを示す逸話です。
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