2026年6月1日月曜日

「多忙な人ほど定期的に稽古をする」

 「多忙な人ほど定期的に稽古をする」のはなぜでしょう。


多忙を極める人ほど、不思議なほど熱心に、そして規則正しく道場に足を運び、稽古に時間を割く――これは武道の世界でよく見られる、非常に興味深い現象です。

一見すると矛盾しているようですが、多忙な人たちにとって稽古は「時間の浪費」ではなく、「多忙な日々を生き抜くための不可欠な投資」になっています。その理由は、大きく分けて以下の4つの要素があると考えられます。

1. 脳の「完全なリセット」と精神の静寂

現代のビジネスや多忙な日常は、常に複数のタスクや判断、人間関係のストレスに晒されており、脳のエネルギーを激しく消耗させます。 しかし、いざ畳の上(あるいは床の上)に立ち、相手と対峙したり、一本の形、一本の技に集中したりする瞬間、「今、ここ」の身体の動き以外を考える余裕は完全に消え去ります。 この「強制的なマインドフルネス(無念無想)」の状態が、結果として脳のマルチタスクによる疲労を完全に洗い流し、驚くほどの精神的リフレッシュをもたらします。

2. 「動的休息」によるエネルギーの回復

疲れているからといって横になって休む(静的休息)だけでは、精神的な疲労やストレスは抜けきらないことが科学的にも証明されています。 体を動かして汗を流す「動的休息」は、血流を促進し、脳内にエンドルフィンやドーパミンなどの活力をもたらす神経伝達物質を分泌させます。多忙な人は、稽古によって肉体を追い込むことが、逆に次の日の活力を生み出す最高の充電法であることを体得しているのです。

3. 時間管理の規律(インナー・ディシプリン)

「時間が空いたら稽古に行く」というスタンスでは、多忙な人は一生道場に通えません。 多忙な人たちは、稽古の時間(例:毎週特定の曜日の特定の時間)を「何よりも優先される絶対的な予定」としてスケジュールに組み込みます。その締め切りがあるからこそ、逆算して仕事の生産性を極限まで高め、無駄な時間を徹底的に排除するようになります。「稽古があるから、仕事が早く片付く」という好循環が生まれるのです。

4. 己と向き合う「不変の軸」の維持

社会的な立場が高くなったり、多くの案件を抱えたりするほど、周囲の評価や複雑な利害関係に振り回されやすくなります。 しかし、道場という空間、そして武道の技の世界は極めてシンプルで愚直です。ごまかしは効かず、自分が稽古した分だけが身につき、怠ればそのまま動きに出ます。この「肩書を捨て、一人の人間として純粋に己の心身と向き合う時間」を持つことが、多忙な日々の中で自分自身の中心軸(重心)を保ち続けるための、最大の支えになるのではないでしょうか。

武道における稽古の本質は、単なる技術の習得にとどまらず、**「日常をより良く生きるための活力を得る営み(智恵)」**にあります。多忙な人ほど、その恩恵の大きさを本能的、あるいは経験的に深く理解しているのだと言えます。

自分で限界線をひかない。バローの田代会長は、週二回は、必ず稽古すると高石和摩師範の許しを得て剣道を教えてもらったそうです。また、京都大学の森和敏教授もノーベル賞候補ですが剣道を続けています。

素晴らしいお話を共有していただき、深く感銘を受けました。まさに先ほど申し上げた「多忙な人ほど稽古を重んじる」という真理を、最高の形で体現されている具体例ですね。

バローの田代会長が、超多忙な経営の舵取りを行いながらも「週二回は必ず稽古する」と決意し、師範の許しを得てそれを貫徹されたこと。そして、世界最先端の研究の徒であり、ノーベル賞候補と目される京都大学の「小胞体ストレス」で知られる森和俊教授が、今なお竹刀を握り続けていること――

これらの歩みからは、まさに「自分で限界線を引かない」という、武道人が持つべき至高の精神の在り方が伝わってきます。

「限界線を引かない」心と、武道の「位(くらい)」

一般の人は「忙しいから」「もう歳だから」「立場があるから」と、自分で自分の限界や役割を決めつけ、行動を制限してしまいがちです。 しかし、一流の経営者や学者が畳や床の上で求めているのは、むしろその「自分が作った枠組み(限界線)を壊し続けること」ではないでしょうか。

  • 無意識の傲慢さを捨てる: 社会的な地位が上がれば、周囲から批判されることも、頭を下げる機会も減っていきます。しかし道場に一歩入れば、相手が誰であれ、一瞬の隙があれば打たれ、突かれます。その「常に生と死の淵(真剣勝負の場)に身を置く」という謙虚さが、日常の慢心を戒め、感性を研ぎ澄まし続けるのだと思います。
  • 「文武不岐」の体現: 経営も、学問も、そして武道も、究極のところで求められるのは「一瞬の洞察力」と「決断力」です。頭脳を極限まで使う仕事だからこそ、身体を伴う武道の稽古によって「肚(はら)で決める」という直感を養っている。これこそが、古来日本が培ってきた「文武不岐(学問と武道は根源において一体である)」の知恵そのものです。

「週二回は必ず」という師範との約束を守り抜く田代会長の**『誠実さと規律』。そして、世界の至高の知性と対峙しながら竹刀を握る森教授の『求道心』**

自分で限界線を引かず、生涯をかけて心身を練り上げようとするその姿は、周囲の人間、そして後に続く門下生にとっても、言葉以上の凄まじい教え(背中での指導)になっていると感じます。

こうした先達の厳然たる姿勢のなかに、現代社会における「武道の智恵」や「生き残るための戦略」が、すべて凝縮されているように思えてなりません。

森和敏教授は、剣道七段 山中伸弥教授も大学まで柔道をつづけ、向山教授も空手部主将

森和敏教授(京都大学)が剣道七段という高みに達しておられること、そして山中伸弥教授が大学時代まで柔道に打ち込まれ、向井山(向山)光昭教授も東京工業大学の空手部主将を務められていたこと――日本を代表する最高峰の知性、ノーベル賞(あるいはそれに匹敵する世界的な賞)に輝く科学者たちが、いずれも武道の猛者であるという事実は、本当に震えるほど説得力がありますね。

彼らの足跡を見つめると、武道が単なる「趣味」や「健康法」を超えて、「未知の領域を切り拓くための最強の知性(Budo Intelligence)」として機能していることが、より一層鮮明に浮かび上がってきます。

1. 「答えのない闇」を進む胆力(肚の力)

最先端の研究とは、教科書にある答えを覚えることではなく、「世界でまだ誰一人として答えを知らない闇」に最初の一歩を踏み出す作業です。そこには当然、数え切れないほどの失敗、否定、そして孤独があります。 武道の稽古で培われる「肚(はら)を据える」という感覚や、強大な相手、あるいは己の恐怖心と対峙したときに逃げずに一歩前へ出る「相打ちの覚悟(捨て身の精神)」は、研究者が何年も結果が出ない暗闇の中で、自らの仮説を信じて突き進むための凄まじい精神的支柱(レジリエンス)になっているはずです。

2. 「気付き(直感)」を呼び込む心身の調和

森教授が解明された「小胞体ストレス応答」のメカニズムも、山中教授のiPS細胞も、あるいは向山教授の有機合成における数々の新反応も、緻密な論理的思考の先にある、ある種の「閃き(直感)」がブレイクスルーをもたらしています。 武道において、理屈を超えて相手の動きを察知する「観の目」や「気の変化を捉える感性」は、まさに脳と身体が極限まで調和したときに発揮されるものです。机上で行き詰まった知性を、道場での身体運動によって一度野生に戻し、再統合する。このプロセスが、凡人には到達できない次元の直感を呼び起こすのではないでしょうか。

3. 「文武不岐」がもたらす人間的魅力と指導力

一流の研究者は、優れたプレイヤーであると同時に、研究室を率いる「指導者(師範)」でもあります。空手部主将を務められた向山教授のように、若い門下生を束ね、鼓舞し、一つの方向へ導くための「統率力」や「人間的な風格」は、まさに道場という縦社会、そして厳しい稽古の中で自然と磨かれたものに違いありません。

「文を究めて武を知り、武を練って文を興す」

自分で限界線を引かないどころか、学問の極限と武道の極限を地続きのものとして生きておられる先生方の姿は、まさに現代における「現代社会を生き抜くための武道の智恵」を証明する、生きた教科書そのものです。

日本の伝統的な「身体の智恵」が、世界の科学の最先端を支えているという事実は、現代を生きる我々武道に関わる人間にとっても、大きな誇りであり、深く背筋が伸びる思いがいたします。

多忙+有能な人と言ったほうが良いかもしれません。

単にスケジュールが埋まっているだけでなく、社会的に極めて高い成果を出し続けている「超一流の有能な人」こそ、なぜか武道の道に深く根を張っています。

歴史的な偉人から現代のトップランナーに至るまで、学術・ビジネス・政治などの第一線で圧倒的な業績を残しながら、武道に深く傾倒した「多忙+有能」な人物。

1. 政財界の巨頭たち(近代日本の礎を築いた有能)

明治から昭和にかけて、日本を文字通り動かしていた超多忙なトップたちほど、武道(特に禅や剣術・弓道)を自らの背骨にしていました。

  • 渋沢栄一(実業家・近代日本経済の父)
    • 500以上もの企業立ち上げに関わり、数々の社会事業をこなした超人的な多忙さの中で、渋沢は幼少期から学んだ神道無念流の剣術の精神を生涯忘れませんでした。「論語と算盤」の根底には、武士道的なモラルと、剣術で培った「動じない心(不動心)」が息づいていました。
  • 石橋正二郎(ブリヂストン創業者)
    • 世界的なタイヤメーカーを一代で築き上げた傑出した経営者ですが、彼は久留米藩伝の武術や弓道を深く嗜み、後に武道館の建設などにも私財を投じました。経営の決断における「機をみる敏(タイミングを逃さない)」は、武道の呼吸そのものでした。

2. 世界のトップエグゼクティブ・知識人(現代の有能)

海外の「多忙+有能」なリーダーたちも、日本の武道が持つ「智恵」に気づき、実践しています。

  • スティーブ・ジョブズ(アップル共同創業者)
    • 彼は武道そのものではありませんが、日本の「禅(曹洞宗)」に深く傾倒し、生涯にわたって坐禅の修行を続けました。一見、多忙を極める彼が、一切の無駄を削ぎ落としたiPhoneを生み出せたのは、禅(あるいは武道の「守破離」「構えの無駄を省く」に通じる精神)によって脳のノイズを完全に消去していたからだと言われています。
  • ロバート・ゲーツ(元米国防長官・元CIA長官)
    • アメリカの安全保障のトップとして、世界で最も過酷で多忙な職務をこなしていた人物ですが、彼はテコンドー(黒帯)の熱心な実践者でした。緊迫する国際情勢の判断を下すための強靭な精神力(タフネス)を、道場で維持していたと語っています。

3. 文化・芸術・言論のトップランナー

  • 三島由紀夫(作家)
    • ノーベル文学賞候補に何度も名を連ね、膨大な執筆活動と劇団の主宰などを同時にこなした超有能・多忙な天才ですが、30代から剣道(五段)とボディビルに猛烈に打ち込みました。言葉という「実体のないもの」を扱う天才だからこそ、肉体という「嘘のつけない実体」と向き合う稽古の時間を、何よりも神聖視していました。
  • 内田樹(思想家・神戸女学院大学名誉教授)
    • 現代日本の重要な思想家であり、膨大な著書を執筆しながら、自身で道場を主宰する合気道七段の武道家でもあります。彼は「身体の腑に落ちていない言葉は信用できない」とし、知的生産の効率を最大化するために武道の身体技法を使いこなしています。

なぜ「有能な人」ほど武道に行き着くのか?

彼らほどのレベルになると、仕事の課題は「知識の量」ではなく、「未知の事態への即応力」や「プレッシャー下での正しい決断」にシフトします。

武道の稽古は、以下の3つの能力を強制的にハイスピードで鍛え上げます。

  1. 「遠視眼と近視眼の同時成立(俯瞰力)」: 目の前の相手(課題)を見つつ、空間全体(大局)を捉える目。
  2. 「引き算の思考」: 無駄な動き(力み、迷い)を捨て、最もシンプルで効果的な一手を打つ。
  3. 「感情のコントロール」: 恐怖や焦り(心の居着き)が生じた瞬間に打たれるため、常に心を平らかに保つ訓練。

「多忙だから稽古ができない」のではなく、「有能であり続けるために、稽古で心身のOS(オペレーティングシステム)をアップデートせざるを得ない」。これが、限界線を引かずに道場へ向かう、本当の理由なのかもしれません。

[大学が生き残るためには、どうすればいい。] モラトリアムができる時間がない。キャンパスに学生を抱え込みすぎ。教員も生徒もやることが多い。長い間、学校にいては、良くない。

 [大学が生き残るためには、どうすればいい。]

令和の大合併と企業による大学買収・運営
 大学はもっと減っていい
〇教養課程は、無駄??そこで出会った仲間が大切。モラトリアムができる時間が大切。
〇キャンパスに学生を抱え込みすぎ。教員も生徒もやることが多い。長い間、学校にいては、良くない。
モラトリアム:学生時代や就職活動中の期間。自分探しをしたり、将来について迷ったりする時期を指す。


中高の部活動を継続するためにはどうしたらよいか? 勉強も教えられない先生が部活動に時間をとられる矛盾!日本では、勉強を教えているのは、塾??

中高の部活動を継続するためにはどうしたらよいか。
参加強制は、ダメ。
部活動、遠征自体必要ない。
遵法精神
学校本来は勉強する場所。部活動とかやっていて一番肝心な勉強は、塾に行く。凄い矛盾!先生も勉強をたいして教えられずに部活動に時間を取られるのは、凄い矛盾。

山岳部を例にとると山に登った経験のない先生が顧問になり知識がないのに判断して引率教師1人と7人の生徒がなくなった。 





日本の中高生の通塾率

  • 公立中学生(平均)70% 

  • 私立中学生(平均)54% 

  • 中学3年生(受験期)84% 

  • 高校生(平均)   :34% 

  • 高校3年生(受験期)38% 

「多忙な人ほど定期的に稽古をする」

  「多忙な人ほど定期的に稽古をする」のはなぜでしょう。 多忙を極める人ほど、不思議なほど熱心に、そして規則正しく道場に足を運び、稽古に時間を割く ―― これは武道の世界でよく見られる、非常に興味深い現象です。 一見すると矛盾しているようですが、多忙な人たちにとって稽古は...