2026年7月6日月曜日

「学校部活動の地域移行」部活動の歴史は、明治から始まり「公友会」「学友会」と言われていた。江戸時代は、「暴力やいじめ」はなかったが西洋式軍隊の融合から暴力が始まった。

学校部活動の歴史は、明治から始まった。(先ずは、撃剣、柔術、弓術から)
 江戸時代にはなった、しごきやいじめ体罰

   明治の西洋式軍隊から学校への逆流

 こうして明治の中期〜後期にかけて、西洋式軍隊の中で「武道的な精神論」と「西洋的な絶対服従」が混ざり合い、日本独自の「鉄拳制裁(しごき・暴力)」が完成した。そして、日清戦争・日露戦争へと向かう中で、軍隊の訓練法は「国を強くするための最も正しい教育」として、中学校の校友会(部活動)や体育の現場へそのまま逆流し、定着した。私たちが知る運動部の暗黒面は、まさにこの「西洋式軍隊と武道の融合」から始まった。

①明治時代の旧制中学校では、現在の「部活動」という言葉は使われておらず、主に「校友会」や「学友会」などと呼ばれていました。これらはスポーツや文化活動を統括する生徒の自治組織であり、その中に設けられた各専門種目の団体は「部」と呼ばれていました。
江戸時代の武道は、しごき、いじめ、体罰は、なかった。「道場は、現代のクラブであった」
 江戸時代の武術(当時は「武道」ではなく主に「武芸」「武術」と呼ばれていました)の道場において、現代の部活動で見られるような「集団いじめ」や、指導者による理不尽な「しごき(拷問的な暴力)」は、原則として存在しなかった。むしろ、江戸時代の道場は現代よりもはるかに理性的で、暴力や無用な怪我を徹底的に排除する仕組みが整っていた。
 明治時代以降の「殴って育てる」という軍隊式の苛烈な暴力指導は、実は江戸時代にはなく、明治の近代化の過程で生まれた。
③指導スタイルは、現代のような「鬼コーチが怒鳴り散らし、過酷なメニューを課す」というものではなかった。
・主に「形(かた)」の練習が中心であり、師匠の手本を真面目に模倣することが求められていた。
・技術が未熟な門弟に対しては、「まだその段階に達していない」として上の技を教えない(秘伝化する)という方法でコントロールしており、体罰で無理やりやらせるような指導は行なっていない。
・教育の場に「体罰」の概念がなかった。
 江戸時代の教育機関(藩校や寺子屋など)では、「子供や門弟を殴って教育する」という発想そのものが希薄。
 江戸時代の武術道場は「礼節」と「安全」を重んじる大人の社交場・スポーツジムのような場所であり、明治・昭和期の運動部活動部で見られたような暗黒の「しごき・いじめ文化」とは無縁の世界。

⑤西南戦争などで見られるように個人の戦いは、圧倒的に氏族(サムライ)が強かった。集団戦は、西洋軍隊式。

⑥西洋軍隊の「絶対服従」と 武道の「主従関係」の西南戦争の抜刀隊の強さから悪魔合体が進んだ。

 西洋式軍隊は「上官の命令には絶対服従」という厳格な階級社会。一方で、日本の武道には「師匠の教えは絶対」という強い主従関係。これが軍隊の中で混ざり合った結果、「上級生や上官は神様であり、下級生(新兵)には何をしても許される」という歪んだ絶対権力が生まれました。西洋軍隊のシステム(階級)を使って、日本的な精神論(根性論)を無理やり叩き込むために暴力が使われた。

 西南戦争で、西洋式の銃を持つ徴兵(農民出身)が、元武士の剣術(抜刀隊)に恐怖して敗北しかけたことは政府に大きな衝撃を与えた。政府は「西洋の兵器だけではダメだ。日本兵には武士のような『死を恐れない強い精神力(大和魂)』が必要だ」と結論づけた。その精神力を手っ取り早く植え付ける手段として、武道の稽古における限界までの肉体的追い込みが、「精神を鍛えるためのしごき」として軍隊内で正当化した。

⑦江戸時代の武道は、怪我をしないように竹刀や防具を改良して発展した「安全なスポーツ」。
 しかし、これが明治の軍隊や学校の校友会に入ると、「防具をつけているのだから、どれだけ激しく殴っても死にはしない」「痛めつけることで、恐怖に打ち勝つ度胸がつく」という恐ろしい解釈に変貌した。相手をいたわる礼節が失われ、防具があることを言い訳にした合法的な暴力(しごき)へとエスカレートしていった。

 また、 明治政府が手本にした西洋の軍隊(特に19世紀のフランス、イギリス、プロイセンなど)には、凄惨ないじめ、しごき、そして法律で認められた合法的な体罰が日常的に存在していた。





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「学校部活動の地域移行」部活動の歴史は、明治から始まり「公友会」「学友会」と言われていた。江戸時代は、「暴力やいじめ」はなかったが西洋式軍隊の融合から暴力が始まった。

学校部活動の歴史は、明治から始まった。(先ずは、撃剣、柔術、弓術から)  江戸時代にはなった、しごきやいじめ体罰    明治の西洋式軍隊から学校への逆流  こうして明治の中期〜後期にかけて、西洋式軍隊の中で「武道的な精神論」と「西洋的な絶対服従」が混ざり合い、日本独自の「鉄拳...